「最低限だけやる」それは、本当に賢い選択だろうか。
こんな人へ
・「静かなる退職」という言葉にどこかモヤっとしている人
・会社に捧げるのは違うと思っているけど、サボりきるのも違うと感じている人
・自分の自由を守るために、どこまで頑張るべきか迷っている人
この記事を読むと
「さぼるか、尽くすか」以外の働き方に気づけます。
静かなる退職とは何か
最近、「静かなる退職(Quiet Quitting)」という言葉をよく耳にするようになった。
もともとは海外で広まった言葉で、
「会社を辞めるわけではないが、必要最低限の仕事しかしない」という働き方を指す。
仕事に人生を支配されないための防衛線。
必要以上に背負わないという意思表示。
日本でも徐々に広まりつつあり、
自分は“静かな退職状態かもしれない”と感じている人も少なくないという。
会社を辞めるわけではない。
でも、必要以上には背負わない。
その姿勢は、一見すると合理的に見える。
共感できる部分
この考え方が広がる背景には、ちゃんと理由がある。
・頑張っても給料は劇的に上がらない。
・評価は曖昧で、報われないこともある。
・組織の都合で配置換えや異動が決まってしまう。
そうした現実を見れば、「必要以上に頑張らない」という選択は合理的だ。
僕自身も、会社に人生を全振りするつもりはない。
「会社だけで人生を決めない」と、わざわざブログのサブタイトルにしている。
それくらい、このテーマは自分の中で明確だ。
仕事のためだけに生きる時代ではないと思っている。
それでも感じる違和感
それでも、この言葉にはどこか引っかかるものがある。
「最低限だけやる」ことを選び続けたとき、自分はどう感じるだろうか。
手を抜いていることを、一番よく知っているのは自分自身だ。
誰にもバレていなくても、自分は分かっている。
「本気を出していない」という感覚は、静かに心に残る。
これは派手なストレスではない。
でも確実に、自尊心を削っていく静かな摩耗だ。
自分で自分を軽く扱う感覚。
「本当はもっとできる」と分かっていながら、あえて出さない感覚。
それが積み重なると、
自分に対する信頼まで少しずつ薄れていく気がしている。
そしてもう一つ、気になることがある。
誰かが手を抜いた分の負担は、どこかに移動する。
仕事は消えない。
結局、誰かが引き受けることになる。
それが同僚かもしれない。
未来の自分かもしれない。
僕は、目の前で一緒に働いている人に、そのつけを回す側にはなりたくない。
そしてそれは、いずれ周囲にも伝わる。
気づかないうちに、これまで積み上げてきた信頼を切り崩していく。
手を抜きすぎると、自尊心が削られる
僕は、会社という抽象に対しては距離を取りたいと思うことがある。
でも、目の前で一緒に働いている同僚や上司は、人として普通に好きだ。
彼らの期待を裏切るような働き方はしたくない。
そして何より、自分の中の自尊心を守りたい。
「自分はちゃんとやっている」と思える感覚は、
思っている以上に人生の土台になる。
仕事は人生のすべてではない。
でも、人生の一部であることは間違いない。
しかも、その一部に費やしている時間は決して少なくない。
一日の大半、人生のかなりの割合を、仕事に使っている。
その時間を、わざわざ自分でぞんざいに扱いたくはない。
どうせ使う時間なら、
自分が誇れる使い方をしていたい。
自由は制度ではなく、実力の上にある
以前、テレワークや裁量出社が認められていた社員がいた。
その人は、評価の変化とともにフル出社となり、フレックスも使えなくなった。
制度は変わっていない。
でも、その人の働き方だけが変わった。
自由は制度で保証されるものではない。
実力という土台の上に、条件付きで乗っているだけだ。
営業なら数字。
エンジニアなら技術水準や信頼。
成果を出している人は、多少のわがままが許される。
働き方の柔軟性も、任される仕事の幅も広がる。
でもそれは「権利」ではない。
あくまで信用の上に成り立つ余白だ。
景気や組織再編は、自分ではコントロールできない。
だからこそ、選ばれやすい側にいる努力は続けたい。
自由は永続しない。
維持するものだ。
僕が“中の上の評価”を狙い続ける理由
僕はトップを目指しているわけではない。
出世競争に勝ちたいわけでもない。
でも、「下に落ちない努力」は続けたいと思っている。
僕が言う“中の上”とは、
組織の中で「中の上の評価」を安定して取り続けることだ。
トップ層ではない。
でも、自由が許される最低ラインは超えている状態。
僕にとっての“中の上”は、こんな働き方だ。
・期限は必ず守る
・任された仕事は、期待値の少し上で返す
・困っている人がいれば、できる範囲で手を差し伸べる
・でも、過剰な残業で自分を削らない
会社に捧げない。
でも、プロとしての矜持は守る。
それは会社のためではない。
自分の自由と自尊心を守るための戦略だ。
静かに退職するのではなく、
静かに自由を確保し続けたい。
そのために、今日も“中の上の評価”を取りにいく。
「会社にどこまで時間を捧げるのか」については、
残業に対する違和感を書いた記事でも触れている。
今回の話と、きっと地続きだ。



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