☆こんな人に読んでほしい
・フルリモートに憧れている学生や若手社員
・在宅勤務が増えて、違和感を感じている人
・リモートワークの是非を冷静に考えたい人
最近、大手企業でも出社回帰の動きが話題になっている。
一時は「フルリモート解禁」が最先端の象徴だったのに、いまは逆の流れも出てきている。
「通勤ゼロって最高じゃない?」
正直、僕もそう思っていた。
月5出社の時期、ほぼフルリモートに近い働き方、そして今の“半分弱リモート”。
そのすべてを経験した僕の結論はこうだ。
フルリモートは自由だ。
でも、楽園ではない。
フルリモートの解放感
まず、リモートのメリットは本物だ。
満員電車も渋滞もない。
朝の支度もいらない。
起きたらすぐ仕事。
朝はゆっくりできる。
夜も余裕がある。
子どもの顔を、出社日より長く見られる。
自分のペースで仕事ができる。
「もう出社いらなくない?」
そう思った瞬間もある。
リモートは、間違いなく生活の質を上げてくれる。
何より、自分の時間が増える。
感じた違和感
でも、しばらくすると小さな違和感が出てくる。
仕事は回る。
効率も悪くない。
けれど、何かが薄い。
雑談がない。
偶発的な会話がない。
ちょっとした相談が減る。
そして何より、
自分がどう見られているのかが分かりづらい。
設計開発のような暗黙知の多い仕事では、
横で見る。
空気で学ぶ。
何気ない会話から盗む。
そういう情報量は、やはり出社の方が多い。
効率は落ちていない。
でも、成長実感は少し薄まる。
この感覚は、無視できなかった。
必ず生まれる「ずるい」という空気
テレワークが広がると、必ず出てくる声がある。
「在宅ってずるくない?」
直接言われなくても、空気で伝わる。
出社しないと回らない仕事をしている人から見れば、
家で働く人は“楽”に見える。
特に多くの人が製造に関わる会社では、その声は大きい。
これは感情論ではなく、構造の問題だ。
成果が完全に可視化されない限り、
“見えない働き方”は疑念を生む。
テレワークは単なる制度ではない。
信頼の残高の上に成り立つ仕組みだ。
実際に起きたトラブル
実際にあった話だ。
テレワーク中、業務時間内に私的なサイトを長時間閲覧していた社員がいた。
しかも一時的ではなく、数年単位。
発覚後、数百万円規模の給与返還。
知らない人だが、晒し物のように会議で共有されていた。
会社が怒るのは当然だ。
でも本質はそこじゃない。
テレワークは「監視されていない」制度ではない。
「監視しなくても大丈夫だと信じてもらっている」制度だ。
VPNログ。
アクセス履歴。
通信記録。
データはすべて残る。
自由に見える制度ほど、信頼への依存度は高い。
信頼は、積み上げるのに時間がかかる。
失うのは一瞬だ。
なぜ出社回帰が起きているのか
最近、出社回帰の動きが広がっている。
理由はシンプルだ。
・生産性のばらつき
・若手育成の難しさ
・評価の不透明さ
・組織文化の希薄化
テレワークが悪いのではない。
成立させるだけの組織の成熟度が必要なのだ。
そしてもう一つ。
テレワークは、個人の努力だけでは守れない。
会社方針ひとつで、簡単に崩れる。
昨日までフルリモートだった環境が、
来月から週3出社になることもある。
働き方を制度に依存しすぎると、
その変化に振り回される。
だから僕は、
「どこで働くか」よりも
「どんな環境でも成果を出せるか」の方が重要だと思っている。
テレワークを成り立たせる条件
テレワークは、
仕組み × 自律 × 信頼
で成り立つ。
特に重要なのは、自律だ。
・タスクを自分で管理できる
・成果を言語化できる
・レスポンスが速い
・誘惑に負けない
能力の高さよりも、「在り方」が問われる。
ただし、この自律は一朝一夕では身につかない。
特に新入社員は、まだ信頼の貯金がない。
成果も見えにくい。
社内の文脈も分からない。
相談相手も固定されていない。
その状態でフルリモートになると、
成長機会はさらに減る。
僕は、若手ほど出社率は高いほうがいいと思っている。
信頼は、積み上げてから使うものだ。
テレワークは進化ではない。
成熟度を試される制度だと僕は思っている。
僕が半分リモートで落ち着いている理由
今の僕は、半分弱リモート。
出社は刺激になる。
在宅は余白になる。
出社だけでもきつい。
フルリモもきつい。
だから今のバランスが、ちょうどいい。
働き方の正解は、ゼロか100ではない。
人生のフェーズで変わる。
フルリモートを夢見る学生へ
通勤ゼロは確かに魅力的だ。
でも、フルリモートは楽をするための制度ではない。
楽をしたい人から順番に沈んでいく環境でもある。
そしてそれは、会社方針ひとつで簡単に変わる。
制度に夢を見るよりも、
どんな環境でも信頼を積み上げられる人間になる方が強い。
僕はフルリモートを否定しない。
でも、楽園だとは思わない。成果だけでみられる厳しさは確実に存在する。
自由は、責任とセットだ。
責任は、信頼の上にしか成立しない。
そのバランスの中で働ける人間でありたいと、僕は思っている。
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